「鉛筆デッサンに水彩をのせる 事」
前回のコラムの通り、西洋人形(ビスクドール)をデッサンしていたが、コレクションのセルロイドも描いてみようと思い、鉛筆デッサンをしてみたが何か足りない様な気がして、ちょっと色を付けてみようと思い立ち水彩をかけてみました。
セルロイドは”雰囲気”が軽い感じで、ビスクドールとは違う表現を
しなければ・・・鉛筆だけでは駄目だ、と思ったのです。
私にとっては新鮮な思い付きだった様ですがいかがでしょうか?
小澤清人
「鉛筆デッサンの事」
先日、個展の打ち合わせに人形屋に行き、女主人と話しているうちに
彼女曰く「先生のデッサンもお出しになるといいかも?」などと
云われ、家に帰って早速初めて見た。
愛用している親父の形見のシャープペンシルで、ちょっと描いてみたのです。いざ私のコレクションの人形を描いてみると、見慣れているからサラッと行くかと思うとこれがとても難解で、次々と私の中で問題が出てくるのです。
紙はアルシュのブロックの水彩紙で粗目を使用し、形見のシャープペンシルは0.9mmの太いBの芯なのです。銀製なのでとても重いのですが私としては気に入っているので、普段、何を描くのにもこれを愛用しているのです。
何故か描いているうちに、”この紙でいいのだろうか?・・・鉛筆はこの太めのBでいいのだろうか?” とも思うようになってきました。コレクションの人形達がとても手強いモデルに感じてきたのです。
これは心を引き締めて取り掛からなければいけないと思いました。
長い間、私の生活空間で共に過ごしている人形達なので、全てわかっているつもりでいたのですが、描いてみるとデッサンとはとても難解なものだと思い始め、色々な手段で描いてみなければ駄目だと思い直しました。
”絵はデッサンに始まりデッサンに終わる” などと言葉ではわかっていても、まだ何もわかっていない自分に気が付くのです。
そして今日も人形と対峙してイーゼルの上の水彩紙に鉛筆を走らせているのです。
小澤清人
「今日この頃の事」
コラム、去年の12月頃より更新がありませんでした。
気が付くと”アッ”っという間に今日2022年12月になっておりました。
今年も現代童画本展も無事に終わる事ができ、ホッとしているところです。
コラムを書かずに丸一年何をしていたかというと、絵を描いておりました。しかも、ちょっと前に描いた作品を引っ張り出してきては
手直しをしていたのです。
絵には”完成”というのが無いのだというのが実感である今日この頃なのです。
倉庫に行き絵をチェックしてみると「これでは駄目だ!」と思う作品が多数見つかるのです。それをアトリエに持ち帰り加筆が始まるのです。
でも、加筆してみると、すぐに自分が納得できる作品に変容していくのです。それは、「これでは駄目だ!」と思ったその時に、今まで私が気が付かなかった事が発見できたという事だと思います。
人生、無駄に時が流れていくだけではないのだとつくづく思います。
そして、納得した作品をまた額に入れホッと一息つきます。そしてまた倉庫に持ち帰るのです。作品によってはそれを何度も繰り返す事があるのです。また作品によっては、見た瞬間に、これは加筆できない「もはやこれまで!」と思う作品もあるのです。それは私にとって「完成しているのだ」と思われます。
倉庫に行って「これは駄目だ!」と思う作品は、まだ未完成なのだと思う。仮に額装をして私がそれに気が付くまで、倉庫で待機している様に思われるのです。
一枚の絵が完成するのにはそれなりに時間がかかるのだと思うのです。
小澤清人
赤ずきん F8 赤ずきん F8
「看板の事」
2021年12月20日で、与野で10年余り開いていた
ポルトルージュKIYONDOの塾を終わる事になった。会場が使えなくなったのです。シャインのアケミマダムには大変お世話になりました、ありがとうございました。
そして新たに、私の友人である浜田茂氏の家をお借りして、月に2回のポルトルージュKIYONDOを来年から続行する事になりました。
浜田邸は週末の金・土・日曜日だけカフェとして営業しており、私は散歩の途中でいつもお邪魔しているのです。もっとも私がお邪魔するのは営業時間外の時が多くマスターの茂チャンは、いつも私の顔を見るとウンザリとして迎えてくれるのです。
先日、その浜田邸の庭に置いてある昔画材店(石原誠美堂)で使用していたと思われる立て看板が目に入り、”アートカフェハマダ”と
”ポルトルージュKIYONDO”の看板を久しぶりに私なりに描いてみました。
荻原碌山の”女”の彫刻が置いてある葡萄棚のテラスで古い立て看板に絵具をのせていくと、何年も前にミルクホールやアメリカンバーの絵看板
を夢中で掻き上げていた頃の事を思い出すのです。
小澤清人
「個展の事」
8月の初め、姪の丁子紅子に紹介された銀座1丁目にあるアンティークな奥野ビルで個展を開催する事となった。
丁子に云わせると私にはピッタリと合った会場のようである。
見に来て下さった方々からもやはり私にピッタリと合った会場だと云われた。”なるほど・・・”と私は思ったのです。
奥野ビルは昭和7年に建てられた集合住宅で、とても雰囲気のあるビルなのです。
6階の個展会場に絵を展示してみると、やはり私の絵の雰囲気と共鳴するところがある様です。
以前、井の頭公園駅前のカフェ「宵待草」で何度も個展を開催した時の事を思い出すのです。
5月、お世話になった小林亜星先生が亡くなられました。
奥方様にお頼みして、以前描かせて頂いた先生の肖像画を1点展示させて頂ける事となりましたが、先生と初めてお話をさせて頂いたのも
カフェ「宵待草」だったのを思い出したのです。
しかも奥野ビルが建てられた昭和7年に亜星先生がこの世に誕生されている事にも気が付いたのです。
私は古いトランクをよく持ち歩くのですが、最近は新しい物ですが
黒いゴルティエのクラシカルなトランクに私流の”薔薇”の花を描いて持ち歩いています。
亜星先生の奥方がそのトランクを見て「私のバックにその薔薇を描いて」と云われ、小ぶりのケリーバッグを渡された。「いいんですか?」
と言いながら失敗の無い様に緊張して描いたのです。
今回個展に亜星先生の肖像画、隣にそのケリーバッグを展示させて頂く事となったのです。
そういう事で、画廊主の吉本満貴子さんにお願いして、来年の10月にまたお世話になる事にしたのです。
小澤清人
「白い花の事」
あれは何十年か前の事である。
おふくろの昔の実家はどうなっているのか?と、半蔵門の英国大使館の
裏に行った事があった。
隣のビルとの境の壁が少し残っているだけで、私が幼かった頃の実家は、ほとんど跡形もなかったのです。
寂しい思いでお堀端の公園を歩きながら、都電通りの向かいの英国
大使館を眺めると、庭一面に白いあじさいが咲き誇っているのです。
その時、白いあじさいを初めて見た様な感動をを覚えたように思います。
充分に水分を含んだ生命力のある白いあじさいを一輪持ち帰り、
早速、前年ロンドンのアンティーク市で見つけた手の形の花瓶に入れて
3号のキャンバスに描いてみました。
今朝、我が家の庭に咲く白いアナベルを一輪取り小さな一輪挿しの花瓶に投げ入れて描き始めた時、あの時の英国大使館の白いあじさいの事をふと思い出したのです。
長い時をかけて、紫陽花が改良され新種のアナベルが作られたようですが、英国大使館で初めて白いあじさいを見た時、未来のアナベルを予期していたように思えてならないのです。
ここ15年程、6~7月に咲く庭のアナベルを描くようにしておりますが、独特な真っ白い小ぶりの花びらを持つ毬の様な風情は私ととても相性が良い様に思うのです。
その証拠に私のコレクションのどの花瓶に投げ入れてもこの白い花は、
ピタリと絵になってしまうのです。
明日はどの花瓶に入れてみようか、と思うのです。
小澤清人
「エンゼルの事」
アトリエの隅に、SMのキャンバスが6枚重ねられてあるのを見ると
全部「薔薇をもてるエンゼル」の絵である。
3~4年前に描いたもので、他に描いた12枚のものは1つの画面に
固めて曼荼羅の様にまとめ一作品としたのである。
(画集 小澤清人の事 に掲載)
今見るとまた加筆したくなったのです。
あの時はこれで良いと思っていたのですが、肌の感じ・顔の表情・
薔薇の色など一点ずつそれぞれに手を加えたくなってきたのです。
描き始めると止まりません。自分が納得いくまで描くしかありません。
良い事に油絵は自分でうまくいってないと思っていても、絵の具を
塗り重ねて行くと何とも云えない味が出てくる様に思うのです。
何年か前にエンゼルを描いた時は必要以上に眉間にシワを寄せた様な
風貌になったのですが、今見るとそれがちょっとわざとらしく感じられ、もっと自然にした方が良いと思うようです。
此頃は、全ての物が、自然に見える様に、あるがままに描くのが良いと思うのです。
”自然体”と云うのは最もバランスがとれた状態だと思います。
キャンバスにこの”自然体”を写したらとても良い絵が出来る様に思われます。
昨日、義弟と4階バルコニーで飲みながら夕陽を見たのです。
刻一刻と、みるみるうちに陽は沈んでいきました。
その一瞬一瞬が実にバランスをとりながら一幅の名画を見ている様
でした。
絶対バランスをとりながら移行していく宇宙から見たら、何と人間技の
稚拙なものかを感じるのです。
いつになったら、1枚の絵の中で絶対バランスを表現する事が出来るのでしょうか・・・?。
小澤清人
「薔薇の事」
今年も薔薇が咲く季節が来た。
エンゼルは現実にこの世に実在があるものではなく、神様なので?
私はない頭をフル稼働させてキャンバスに描き込んでいくのですが
とても疲れるのです。
と、そんな時に今年も愛して止まないピエール・ド・ロンサールの
花束を頂いたのです。
まっすぐ家に帰り、早速描く事にしました。
ない頭をフル回転させる事もなく、見たままを在るがままに
描くのです。なんと描いていて気持ちが良いことでしょう!
しかしその中にも私なりの独断と偏見も加味されていて、在るがままではないのかもしれません。でも、それを否定してしまったら私ではなくなると思います。
私は、全ての物を若い時よりも、より観察するようになりました。
昔は、今よりもジッと観察する事が出来なかった様に思います。
若い時代にもっと観察する事ができていたら、キャンバスにもっと
うまく物を表現する事が出来ていたのではないか・・・と思うのです。
昔、父親に「お前は洋画より日本画の方が良いのでは?」と
云われた事がありました。がその時の私は日本画なんか古臭いと思い
また、そういう時代だった様です。
実際、私は怠け者なのでじっくりと物を観察してデッサンを描かなければいけない日本画を避けたのです。
今になってその事に気が付くのです。
今日も朝から、枯れかかったピエール・ド・ロンサールの花を、
小さな花瓶やら一輪挿しに入れ替えて花びらが落ちるまで、ジッと
観察しているのです。
小澤清人
「エンゼルの事」
受賞作家展が終わり、私は少しホッとしているのです。
このコロナ禍、受賞作家展で我が会の受賞したメンバーの何人かと話を
する事ができ、改めて会のメンバーとのコミュニケーションの必要性を
感じ、また自分にとっても新たな発見につながる事を思い知らされた様です。
今、綿布のキャンバスM50号に「薔薇をもてるエンゼル」の制作に
挑戦しているのです。
人形と違い、人間の体を表現するのは、私にとってとても開放的な気分で描ける様に思います。
人形は人の形はしているけれども、あくまでも一静物であります。
私が好んでモチーフにするエンゼルは、幼年期・少年期・青年期である人間の姿を借りた神様なのです。したがって私の美意識の理想的な人物画でもあります。
だから、自分の思いを表現するのにとても良いモデルなのです。
ちょっと前に古い絹本に描いたエンゼルの絵を出して来てみると、これではダメだと思い、今50号のキャンバスと同時に加筆しているのです
何年か前に描いて完成させたはずのエンゼルの絵が今また加筆修正しなければと思うのは、私は進歩しているのか?・・・はたまた、ただ移行しているだけなのか?・・・人生とは、この様な迷いの連続なのかもしれません。しかし加筆修正していくと、確実に良くなっていると私には見えるのです。
そして人間年を重ねる事は又、歳をとるという事は”満更でもないな”
と思える今日この頃なのです。夜、”もはやこれまで”と思って筆を置くのですが、翌朝になるとまた新しい発見があって加筆できるのです。
その連続なのです。
やはり良い絵を完成させるには、とても時間がかかるのです。
生きているうちにあと何枚の絵を完成させる事ができるのか・・・
”神のみぞ知る”なのである。
小澤清人
薔薇をもてるエンゼル M50 綿布 (左 加筆前 右 加筆後 )
HERZ P6 絹本
「赤いリボンの事(No2」
未だコロナは収まらず、2021年度の春季展は4月5日から開催される
予定になっている。終日まで万全の体制で向かいます。
私と云えば、落ち着かず、今も愛する”赤いリボンの子”を片隅に置き、
これをモデルに描いているのです。
というよりも、そうしないと時が過ぎて行かない、じっとしていられないので描くのです。
この頃は、綿布を張ったパネルを買い求めている、これがまた私には
とても合う様なのです。
0号~4号程の大きさのパネルに描くのですが、今までの絹本とも
ちょっと違い、表面が少し毛羽立っていて、出来上がりが幾分
やわらかな感じになります。
まさか今の歳になってキャンバス・絹本・綿布・紙本の支持体の
違いがこれ程か?と気付かされる、今日この頃なのです。
しかしながら何に描いても私の”思い”は同じ様に表現されなければ
なりません。
いつも思うのですが、”今度こそ”と意気込んで支持体に向かうのですが
思う様にはいきません。
いつになったら、私の理想とする”赤いリボンの子”が描けるのか?
これからも、長い付き合いになると思うのです。
人生、今さら焦っても仕方ありません、なるようにしか
ならないのです。
それにしても、コロナはいつまで続く事やら・・・。
小澤清人
綿布 P0
絹本 SM
絹本 P8
綿布 F4
絹本 P20
「小さな額の事」
私は以前、ロンドン・パリ・ミュンヘンなどに人形を買いに行く
旅に出た。
その中で、アンティークの小さな額縁との出合いも度々あったのです。
骨董屋の壁に、また飾り棚の中に、さり気なくそれらの小さな額は
置かれていたのです。
楕円形のラッカー仕上げの古びた光沢がある中には曲面ガラスが入れてあり、その中には”祈りの対象”が入れてあった。
またある時は、セルロイドでできた可愛らしいレリーフでできた
額縁に曲面ガラスが入れてあったのです。
それらを見つけるとすぐに買い求め、日本に帰って来てからすぐに
夢中でそれらの小さな額に入れるべく気に入った西洋人形の
肖像を描き始めるのです。
ある時は、パリのボナパルド通りにある額屋で、円形の黒いラッカー
仕上げの曲面ガラスの入った昔ながらの伝統を継承した新しく作られた小さな額縁を見つけたのです。いくつか買い求めたのですが、帰国
してからもっと欲しくなり、アベスで日本料理屋を営んでいた友人
に頼んで、額を送ってもらう事にしました。
一時期、夢中でコレクションの人形の顔を描き続けたものです。
今、それらの小さな額に入れられた絵を出してみると、その時には
表現仕切れなかったものが見えてきて、その小さな額から絵を
取り出して再び加筆していく事もたびたびなのです。
小澤清人
「猫の事」
私は昔、だいぶ猫の絵を描いた。
画商さんが売ってくれたのです。
「クレオパトラの猫」「黒猫」「赤い目」「長靴をはいた猫」
「プチ・シャ」「シャ・ノワール」「小猫」「バイカラー」等々
なのである。
今は大変なペットブームであるが、猫自体も流行がある様で、
昔とはだいぶ様変わりしているのです。
今、流行りの”エキゾチック”などと云う猫はかわいいのか?
妙なのか?ちょっと私には理解ができない風貌の猫達もいるのです
私の妹の家族は大変な猫好きなので、”ブリティッシュショートヘアー”
なるグレーと黒の2匹を飼っているのです。
不思議な事に黒の方は妹の亭主によく似ていて、グレーの方は妹の娘
すなわち、私の姪にそっくりなのです。そして似た者同士でお互いにとても愛し合っているのです。傍で見ていると、とてもおもしろいのです。
ブリティッシュは鼻が短く、ずんぐりとした”おにぎり”の様な顔をしていて、私の今までの猫の顔の有り様からすると新鮮なようで、とても勉強になります。
この家族のお陰で私は今、新しい猫の絵に挑戦できるのです。
そして最近、姪の紅子が嫁いだ旦那の実家で飼っているオモチャの様な小さなチワワ、”こむぎチャン”という犬も描いたのです。
小澤清人
「第46回 本展が終っての事」
お陰を持ちまして、無事、本展が開催でき。又 無事に終了することが
できました事、全ての方々に大変感謝致します。御礼申し上げます。
私は11月10日~15日の間、とても良い意味で緊張しながら都美館に
毎日通う事ができ、例年とは異なった本展を経験した様に思います。
毎年、初日は人であふれかえり個々が何をしていいのか右往左往する
ばかりで、無駄が多いようです。しかし今年はそれぞれの役割が
しっかりとして、最小限の人数で効率良く進行したように思います。
全く無駄がありません。これは来年に向けて、参考にしなければ
なりません。
また、早朝に美術館に出向く私を気の毒と思い?会のメンバーの方が
気を遣って下さり、朝食用のサンドイッチ又はおにぎりをそっと差し入れてくれるのです。これが何とも嬉しいのです。
会場を巡回していると、人数は例年より少ないものの、真剣に絵に
見入っているお客様を見ると、本展が開催できて良かったと、つくづく
思いました。
中日あたりからは、都内のコロナ感染者が増え始めて、やや緊張
しましたが、我が会はどうにか最終日まで開催することができ、
いつもの協力スタッフには大変感謝しております。
今後、今回の経験を活かし来年以降に向けて我が会が発展していく様
メンバーが一丸となって進んで行きたいと思います。
小澤清人